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同じ動物だから

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 大丈夫、写真のたき(茶トラ ♂ 20歳 猫)、生きてますから。

 ブログ更新も、4年以上していなかったのかと、びっくり。
 この数カ月で、高齢になった母が施設に入り、かつて4人家族で暮らしていた家も、人間(私)1人と、猫(20歳と16歳)2匹だけとなってしまった。

 そして思いがけず、入院。ひとり暮らしなのでと、猫の世話をしに少しの外出を許可してもらっている。
 たきには、毎日の補液が必要で、ごはんとトイレのほかに補液をしに、帰ること2日。

 ふと、自分がされている点滴と、たきにしているものが同じであることに気づいて、看護師さんにそれを言うと、

「同じ動物ですからねえ」と、返ってきた。

 そうか。そうだよなあ。

 年をとって。歳月を重ねて。

 今もほしいものはあるけれど。

 人生の終盤に差し掛かって、それほど「もの」っていらないんだなあと、気づかされる。
 母がいる部屋は8畳くらいの広さにベッドとトイレ。
 私には広すぎる住居。

 食べて、消化して、寝て。私も、猫も。
 同じ動物だから。

 あれほど追い詰められ感で働いていたけれど、そこからも離れて。ただただ、ベッドで横になってるこの数日。

 入院って、自分を見つめ直すいい機会なのですね。

 プチポンで一番若いbooさんが言った。

 まずは、軽い入院で良かったと感謝。

# by amemiyataki | 2020-07-05 09:08 | 日常

新しい年

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ふぁんじにさんからいただいた大ぶりの黒豆を、年末に母が煮豆にした。

その後、またもめてとうとう年取りはしなかった。大晦日に床の間と神棚に年取りの料理を上げなかったのは、たぶん初めてのことかもしれない。

なかったことに、ほうっておいて寝かせておくのがいちばんましな解決法なのだろうと思いつつ、なんだか納得がいかなかったのと、急にどうでもよくなった脱力感とで、何かするのをやめてしまった。紅白も見なかった。

それでも、年は明けるわけで。用意しておいたもので雑煮を作る母を見て、それもまた申し訳なくて。

たぶん。こういったことの繰り返しなのだろうなあと思いつつ。

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たきも16歳。


今年は春から勤務先が替わる。


一生を春夏秋冬になぞらえるなら、母とたきがいる季節は冬。ちーと私は秋。


これまで、人生終わったなあと思ったことは2度あって。
そう思ったはずなのに、変わらず人生が続くことにびっくりして。
そうか。自分で決めることはできないものなのだと悟って。
ならば、頑張るしかないだろうとそれなりに力を振りしぼり。

ロスタイムがどれほどあるのかわからないけれど。

全力疾走はとうてい無理だけれど。

描く夢は大きいのかどうかもわからないけれど。


悠々として、急げ。

5年後、起業することを目標に今年から5年間、新しい場所で働くことができますように。

家族を大切にできるよう。

保護猫に新しい本当の家を見つけることができますように。

福島から、一匹でも多く猫を保護することができますように。

全力でなくとも、力を尽くすことができますように。

世界が平和でありますように。
# by amemiyataki | 2016-01-03 12:43 | 日常

小さくても、花を咲かせて。

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乙女椿(福島県浪江町にて)




熊本は天草出身の作家・石牟礼道子さんの記事(朝日新聞2015.9.26付)を読んだ。



福島の原発事故直後のニュースを見て、「水俣と同じことが起こるだろう」と感じたという。

原因の企業が、地元に雇用を生む存在でもあることから、地域社会が分断され、被害が回復されないまま忘れらていく。

「福島と水俣で起きたことの背景にあるのは、現代はお金が一番の生きがいであり、倫理だということです。

本当はそうではなくて、小さくても花をさせて、その香りを次の世代に残すのが人間ではないでしょうか。

そうしてつないでいく魂があるはずです」



福島の原発事故の後、石牟礼さんが詠んだ俳句。


毒死列島身悶えしつつ野辺の花



水俣で育った石牟礼さんのそばには、いつも不知火海があった。



さくらさくらわが不知火はひかり凪


穏やかな内海は陽光を照り返し、「まるで一枚の光の布のように見えることがある」という。

そんな海の様子を、地元の漁師たちが「きのうは、ひかり凪じゃった」と話していたのを思い出して詠んだ句だ。

有機水銀で汚染されたのは、その美しい海だった。




私たちは、次の世代へ何を残していくのだろう。
# by amemiyataki | 2015-09-26 15:14 | 日常