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いつか、空へ帰るまで

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8月4日、さんさ踊り最終日の夕方



 7月27日夜、ジェミーさんの愛猫、十らさんが亡くなった。

 保護したのは2005年5月後半。保護した翌日、不妊手術直前に出産。この奇跡的ともいえる幸運により、子猫たちを取り上げた先生が母猫を「トレラ」と名づけてくださった。「tremendous lucky(とてつもなくラッキー)」が由来。

 出産してそのまま病院預かりで子育てをし、8月に晴れて(?)プチポン入り。過去ログをたどり、当時を懐かしく振り返る。

 ジェミーさんに見初められ、三っくん(旧三七男)とともにもらわれていったのは翌06年4月30日。「十ら(とら)」と名前をつけてもらった。旧名のトレラと音が似ていて、ジェミーさんの心遣いを感じ、とても嬉しかった。
 それから生を終えるまで、十らさんは三っくん、うなちゃんというルームメイトとともに、ジェミーさんにかわいがられ、愛された。

 出産の際、呼吸が荒くなり先生が心配した。おそらく高齢出産でしょうとのことだったが、当時何歳だったのか。

 成猫の1年は、人間の4年分にあたるという。

 そうはいっても、たとえ十らさんがシニアだとしても、お別れは思いもかけず早く訪れた。けれど、ジェミーさんと暮らした4年間は、間違いなく十らさんにとって最高に楽しく、幸せだった時間だろう。

 空蝉さんが書いたように、かわいがってくださったジェミーさんをはじめ、里親さんにはただただ、感謝の気持ちでいっぱいです。


 保護状態、保護者はいわばゲートキーパー(門番)のような気もする。行き場のない状況から、本当の家族にもらわれるまでの境目にいる。その状況では、もちろん猫はかわいいけれど、どこか「預かりもの」という気持ちもある。

 誰かにもらわれるまで。

 「本当のおうち」にたどり着くまで。


 そんなことを考えていたときに、すてきなメールをいただいた。


猫という生き物は、言ってみれば
自然界を営む何者かから、私たちが授かった、
預かったというようなものかもしれません。

いつかお返しをする時まで、
一緒の生活を楽しみたいと思います。
 


 人間よりはるかに小さく、短い生をまっとうする猫。その猫を得がたい縁により自分の暮らしに迎え入れるということは、ある意味、とても幸運なことだと思う。

 命があるものは、いつか生を終える。私も。あなたも。

 その時まで、かかわった猫をさながら天からの預かりものとしていとおしみ、やがて別れが来たときは、悲しいけれど「お返しした」と思えるように。

*****

 そして8月4日夜、友人が面倒を見ていた子猫が生を終えた。この世に生まれて3ヵ月とちょっと。悲しいけれど、お母さんときょうだいと暮らしたこの3ヵ月ちょっとは、とてもすてきだったんじゃないかな。

 おやすみなさい。

 そしてこの次生まれるときは、どうか家猫になりますように。人間は怖くない。そう思えますように。今度はもっと長生きできますように。

 子猫の魂が安らかでありますように。
by amemiyataki | 2010-08-05 16:16 | 日常
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