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3つの「生」

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呼んで振り向くのは、耳だけ。




生には生命・生活・人生の三つがある


 リハビリテーション医学の権威、上田敏氏の言葉。

生命さえ救えばいいのではない。生活、そして人生を大事にする全人間的復権こそ、リハビリテーション医学だ


 朝日新聞のいつかの記事。切り抜きがそのまま机の上にあったので、忘れないうちにウェブにアップ。震災から4ヵ月以上が過ぎて、命が助かり生活や人生まで救われ回復した人は、被災者のうちどれだけいるのだろう。命の危機にさらされなくとも、今になって生活や人生まで奪われつつある人も出てきているだろう。

 もしこれが自分だったら。そう考えたら居ても立ってもいられない。そうした緊急に駆られて動く政治家はどれだけいるというのか。テレビを通して見る彼の人たちは、偉そうで他人事のように語る。

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 すべてのことに意味があり、自分に起きることは起こるべくして起きる「必然」なのだとしたら。

 自分にとって、今年前半の出来事は、必然だったと受け入れることができるようになった。今になって。けれど、震災で命を落とした人たちにとって、それらは必然なのだろうか。そのことがずっと引っかかっていて、いまだに答えを見出せないでいる。たぶん、答えなんてものはないのだろうけど。

 人はいつか、必ず死ぬ。誰もが。そういう意味で死ぬことは必然だとして、なぜ震災で一度に大勢の人たちが? 生を終えてしまったら、必然を受け入れることもできないではないか。

 頭のどこかに、ずっとある。生活を共にした人、たがいの人生の中ですれ違った人。そうした人たちがあの震災で亡くなってしまった。それをどうやって受け入れたらいいのか。どう、自分の人生を続けていけばいいのか。
悲しみが寂しさに変わり、寂しさが懐かしさに変わる
人はそうやって悲しい別れを乗り越えていく

阪神大震災の時に教えられた言葉です。
身近な人との別れをいくつか経験し
そのたびに心に浮かぶ言葉です


 05年7月に茶トラのたみおが生を終えたとき、ユキチ母さんからいただいた言葉。

 時という薬が効くのは少し時間がかかりそうだから、何か自分で薬を見つけることも生きていく以上、必要なのかもしれない。

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 父の遺品を初めて片付けた。17年経って。もうそんなに経ったのか。17年前、東京から帰省して荷物を父の書斎に置いた。以来、父が遺したものたちを覆い尽くすように増殖していった自分の無駄なものたち…。かき分けて、なんてきちんとした人だったのかと改めて思う。比べて、自分のだらしなさときたら…。
 
 いろいろなことを思い出し、お父さん片付けるねと心の中で言いながら。懐かしい父の面影があちらこちらにあった。書道と建築の本をたくさん片付けた。
by amemiyataki | 2011-07-26 02:37 | 日常
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