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定命

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 先日、NHKで瀬戸内寂聴さんの青空説法を見た。

 89歳。体の不調にもかかわらず、宗教家として被災地に「駆けつけずにはいられなかった」という。

 
 あの震災で、なぜ愛する家族を失わなければならなかったのか。なぜ、あの人が死ななければならなかったのか。

 心の傷がむき出しのまま、今も苦しむ被災者に向かって寂聴さんは言う。すべては「定命(じょうみょう)」、人の命(寿命)は生まれる前から定められているものなのだから、と。

 どれだけの人がそうか、定命なのかと納得したかはわからないけれど。

 よくよく考えたら、そう思うことで気持ちがふっと一瞬、救われるのではないかと腑に落ちた。


 人はあきらめが悪いものだし、いつまでも苦しみ、もがくものだけれど。

 すべては定められているものだから。

 すぐには納得がいかなくとも、そう思い至ることで、遺された者は救われるのかもしれない。そう思った。

*****

 寂聴さんの青空説法を母と聴きに行ったのは、16年前。父を亡くした母の消沈は傍で見ていて心配するほど相当なもので、広告を見て、この人の話を聞いたら何かヒントになるのでは、と思ってのことだったが。

 当時はちょうど、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きたばかりで、説法も自然そういう流れで、その時は母も私も「ピン」と来なかった。

 ついでにその夏は、イタコにお父さんを呼び出してもらいたいと母が言い、青森の恐山ツアーにも参加したのだけれど。
 なにせツアーで時間が押していたのと、同じ目的の人がほとんどなわけだから限られた時間内に自分の順番が回ってくるはずもなく……ほかの人が呼び出してもらっているのを近くで聞いていた母が、何かつき物が落ちたように「もういい」と言った。ひとりで10人くらいの亡くなった縁者を呼び出してもらっている人がいて、カセットテープに録音していたのだ。次々と呼び出し、その都度変わるイタコの口調が何か芝居じみていたようで、醒めてしまったようだった。


 大切な人を失い、遺された者の悲しみは言いようのないほど深い。突き落とされた底から、どうやって這い上がればいいのか。それがわからなくてある人は自分だけの悲しみにはまり、ある人は救いを求めてあがく。

 生まれたからにはいずれ死ぬのはわかる。ただそれがいつ、どんなかたちで生を終えるのかがわからないから、ある日突然の別れに茫然としてしまうのだ。

 命に限りがあって、それが定められたものだとして。それがわからないから人はもがくしかないのだ。
 そしてふと、ああここで生を終えたのは定命だったのだと、いつか腑に落ちるときがくるのかもしれない。

 そう思いきることができるまで、「時」という薬が必要なのだけれど。



 レスキューをしていて、連れ出せない犬猫は数多い。状況は悲惨さを増していく。
 そういうなか、すべては定められた寿命だったのだからと思いきれることは、案外自分自身の救いにつながっているのかもしれない。

 人が生きていくなかで、しなければいけないこと。

 悲しむのは当然だけど、後悔しすぎないように。


*****

 まったく関係のない話だけれど。

 仕事を替えようと思ったら、思いがけないところから救いの手が差しのべられた。

 もう少し頑張ってみるしかないのかなあ。うん。

 たぶん、すべては定められていることなのかもしれないけれど。

  
by amemiyataki | 2011-12-09 02:22 | 日常
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