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人生に必要なもの

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いつものように、キャットフードを給餌器に補充していると、遥か頭上でトンビが2羽、回転しながら「ピーヒョロロ…」と、独特の声で鳴いていた。

聴いているこちらもつい、嬉しくなるようなトンビの鳴き声にしばし聴き入ったのは、人生初かもしれない。などと、ぼんやり思う自分の前に広がる風景がこれだ。


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福島県南相馬市小高区で



かつてここは、住宅地だった。震災から4年経ち、浸水工事を経て瓦礫は撤去し、やっと更地になった。
昨年冬まで、ここは沼地で、シベリアから飛来した白鳥が群れをなしていた。

ここは、家を修復することは認められても、新たに家を建てるのは無理だろうということだった。



いつだったか、ここへ来る途中の半壊した家の周囲を、パトカーが取り囲んでいたことがあった。

おそらく、避難していた家の持ち主が、そこで命を絶ったのではないか。何があったんでしょうと聴いたとき、そんなニュアンスが伺えた。


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開通した常磐道から見える風景



墓地の周囲に、汚染土を詰めたフレコンバッグが着々と積み重ねられていく。
ご先祖の供養に訪れたくとも、許可証がなければ入れない、旧警戒区域。
その許可証が下りるのも、回数が決められている。


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福島浜通りの南北を走る国道6号



今年、検問が取り払われ許可証がなくても走行できるようになったけれど(二輪車は不可)、
道沿いの家々には立ち入ることがないよう、バリケードが張り巡らされている。

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原発事故による放射能汚染で町に住む人はなく、片付けも修復もされない、2011年3月のままの町並み。



生きていく上で必要なもの。いろいろあるだろうが、「希望」は実はとても大事なことではないかと、最近思う。

「望みを希う(こいねがう)」こと。「望みを絶たず」に。


希望はどこにあるのか。


ナチスドイツの迫害を受け、アウシュビッツ収容所にいたことがある精神科医、ヴィクトール・フランクルを支えたのは、「希望」だった。

両親と妻を収容所で喪い、あすはわが身。そういう状況にあって、彼が絶望に侵されなかったのは。

大学で、学生たちを前に講義している自分。将来、こうありたいと願う自分を思い描き、絶望の中でもユーモアを忘れなかった。困難を乗り越えるウイットもあった。

必ず。そうなってみせる。いや、自分はそうなるのだ。

果たして、彼は危機一髪のところで解放され、こうありたいとこいねがった自分になる。



福島の浜通りの景観を、誰かが「東北の湘南」と言っていたけれど。

浜通りは浜通り。とてものどかで、美しい東北だ。

震災前、一度だけ仙台からスーパーひたちに乗って、双葉町の里親さんに会いに行ったことがあった。

車窓から眺める風景は北東北とは違い、温暖で、山のかたちや植物が「おお!」と感嘆する美しさで見惚れたものだった。広がる田園風景と、遠くに望む海。

それらが、奪われてしまった。

東北人は我慢するのが得意ではあるけれど。

いつまで我慢すればいいのか。

5年経ったから、もうそろそろ自立してください。と、打ち切られるであろう様々な補助と支援。

狭い仮設住宅に住むのも限界だろう。

来年は。来年こそは、戻れるから。

そうだましだまし言われ続け、先延ばしにされ。

住み慣れた家に戻らぬまま、生を終えた人はどのくらいいるのか。

やっと戻ることができたとして、荒れ果てた家屋をどうしろというのか。


希望を抱くこと。希望を持ち続けるにも、支えがなければ無理なのではないか。

いつも、福島に来るたび思う。


望みをこいねがう。

こいねがうとは、強く切望するの意。そして、もうひとつ意味がある。

めったにないこと。


誰もがフランクルのようにしなやかで強靭な精神を持ち合わせているわけではなく、彼が確立した「ロゴセラピー」のスキルを知るわけでもない。


我慢と耐えることは得意でも、明るく前を向くのはちょっぴり苦手。


似たような思考回路にある東北人を救うのは、文化や生活習慣が異なる、他県からの手助けではないか。


そういう意味で、ありこさんが福井での自分の生活基盤をいったんオフにして、南相馬に3年住んで頑張ったのは、本当にありがたいことだった。

あのタフさ、底抜けの脳天気さ(実は、こちらが思う以上に用意周到だったりする)、明るさには、ずいぶん自分は救われた。自分がここまで続けられるとは、正直夢にも思っていなかった。


まだ福島には通うのだけれど、この度ありこさんが保護猫たちを連れて福井へ帰ったことは、私にも「ひと区切り」で、ありこさんが水が出ない不自由な暮らしからもとへ戻ったことに、ほっとしている。

縁もゆかりもない東北へ飛び込んできてくれて、本当にありがとう。

希望を持つこと、あきらめないこと。

たくさんのことをありこさんから教わった。
by amemiyataki | 2015-05-31 08:56 | 日常
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