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秋の入り口

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夏から秋へ


 9月2日(日)午前、6時半ころにこっこちゃんが亡くなったと、空蝉さんからメールが入る。金曜から心配で実家に泊まり、眠れない夜を過ごしたそうだ。もうダメかな…と思ったけれど、土曜はミルクを飲み、おやつのカツブシを少し食べ、すやすやと寝たそう。
 明け方4時くらい、空蝉さんが気づいたときはトイレのところでへたりこんでいて。6時に空蝉さんのお母さんが町内会の草取りに行くまで、お母さんの隣で休むこっこちゃん。
 お母さんが出かけ、それから部屋の隅に行きたがるこっこちゃんを、空蝉さんは箱に入れてあげた。こっこちゃんは2~3回呼吸して、動かなくなった。

 「声も出さないで苦しそうな感じはありませんでした。母は最期を見なかったけど、それで良かったと思いました。驚きの生命力で動いて、最後の最後だけ寝てましたが、明るい性格のとおりの最期だなあと思いました。幸せだったかは定義付けできないけど、ご機嫌だったと思います」


 こっこちゃんのように行き倒れていたわけではないけれど、空蝉さんのお母さんは、同じように行き場がなかった「もみじ」を大切にかわいがってくださり、看取ってくださった経緯がある。もみじの譲渡に私は深くかかわっただけに、申し訳ないという思いをずっと引きずっていた。保護主の情報とは裏腹に、もみじは白血病キャリアの高齢猫で、もらわれて3年後、空蝉さんのお母さんに見送られて永眠した。この3年は何ものにも代えがたいほど、もみじには最高にすばらしい月日だったと思う。

 こっこちゃんを実家に引き取ると空蝉さんが言ってくれたとき、またお母さんを悲しませることになる…それが怖かった。それでも、プチポンにいるよりは。看取るつもりで連れていくから、と言ってくれる空蝉さんにこのときも甘えた。

 プチポンの保護猫は、ほとんどが元・野良だ。人との触れ合いに馴れていない猫たちが、プチポンを経て、もらわれていく。いわばナーサリー(保育園、育児所)のようなものではないかと思う。子猫はほとんど問題ない。すぐ人に馴れ、もらわれた先でもすんなりいく。こぶちゃんやヴァンサン、ミレーユのように保護がちょっと遅い、生後4ヵ月以降の子猫だと人馴れには時間がかかる。去年9月に保護したちゅらの子どもたち、ミニョン、ひばりもそうだ。
 それでも、彼らも彼らの時間の流れ方で、人とのコミュニケーションに馴れていっていると思う。

 野良歴が長いおとな猫。これはちょっとやっかいだけど。それでも、外にいる生活から「本当の家=家庭」にたどり着くまでの、プチポンは保護場所だ。ここで初めて、人との触れ合いを体験する。こちらとしても、「外にいるよりはましだよね」と、気持ちがまあ落ち着く。

 いちばんかわいそうなのは、人とのふれあいを知っている、捨てられたおとな猫だ。ちいちゃん、ななぼ、こっこちゃん。人にかわいがられることを味わった猫は、プチポンにいても寂しい思いを味わうだけだ。これは、こちらとしても相当つらい。確かに、病院から退院してプチポンに来てみたものの、こっこちゃんの居場所は「ケージ」だった。ケージ飼いが悪いとかそういうのではなく、人の手が足りない場所で、しかも他の元・野良たちとは相容れない状況下で、元・家猫の居場所は見つけにくいということで。
 それが忍びなくて空蝉さんは連れ出してくれたわけで。そしてこっこちゃんはそれから1年、文字どおり、ご機嫌な時間を味わった。



 3日(月)午前9時、こっこちゃんを荼毘に付す。05年に亡くなったたみお、ジル、そして今年、短すぎた生を終えた大河星河のキジトラ兄弟子猫が眠る、同じ場所に。ほかの大勢の犬や猫たちが眠る場所に。

 そばを流れる小川のせせらぎが、なんだか不思議だった。たみおのときのような夏の日差しではなく、ジルのときのような一面の雪景色でもなく。ただただ、静かで穏やかな、秋の入り口のような、そんな朝だった。

 こっこちゃんを託し、グレを歯石取りで病院に預け、先生にこっこちゃんのことを報告し、お礼を言い、朝食にパンを買い、戻ってきたときにはすでにこっこちゃんの火葬は終わっていた。バッグに詰めた「アニマル・コミュニケーター」も「老子と暮らす」も読むまでもなく。

 骨を拾いながら、係員の女性となんとはなしに話をする。

―先月は、わんちゃんがとても多かったんですよ。
―そういえば、病院の先生が犬の熱中症がとても多かったって言ってましたっけ。
―今年の夏はとりわけ厳しかったですものねえ。
―厳しかったですよねえ。


 動物にとっては時間は長さではなく、質だと、「アニマル・コミュニケーター」の著書が言っていた。著者は、亡くなったペットの声を聞く相談はほとんど受けないそうだ。例外的に、気持ちの整理がつかない飼い主のためにコミュニケートをすることがまれにあるだけ。

「亡くなったら、そこにあるのは愛だけだから」

 少しばかり不自由だった体を脱ぎ捨て、こっこちゃんの魂は自由になった。いつかまたどこかで会えたらいいね。いまはまだ悲しいけれど。そのときは、少しは大きな体になって、でも相変わらずご機嫌な猫でいるのかなあ。

 バイバイ、こっこちゃん。ありがとうね。

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 お悔やみのメール、ありがとうございます。応援くださった方々にも、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
by amemiyataki | 2007-09-04 08:21 | 日常
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