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日々是修行もしくは気づき

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1かご500円…なんつって


 庭の花がいっせきに咲き誇る。レンギョウ、水仙、チューリップ、プリムラ、ムスカリ、雪柳…。春まっさかり。

 朝ドラ「瞳」を見ていたら、不意に母が大笑いした。
 写真のようにたきが神妙な顔をして、道の駅でりんごを買ったときのかごに、ちんまりと入っていた。おもしろいなあ。きちんとそろえた手の前に、ぼんぼりのおもちゃを振るとかごの中から手を出し、ぼんぼりをすくいとろうと手を動かす。猫の手は本当にかわいい。よくできている。

 ひばりがいなくなった保護部屋は、しんとしている。7匹いるはずなのに。やはり仲間がひとり欠けるというのは、それぞれの胸に何がしか影を落とすものなのか。ちゅらさんもぼんやりしている。ヴァンサンは頭が平らになっている。
 などとしんみりしている場合ではなくて。この日(火曜)は先生の往診を受けた。
 グレの調子が悪く(よだれがすごい、鼻風邪も)、かといって痩せた体でけっこうな時間、定期的な通院というのは気の毒でもあり(もともとさわれないし)。先週、アイさんに通院してもらいレメディを処方してもらった後、ほかにも診てもらいたいコたちもいるので、往診をお願いしたのだ。

 くーまんの腹部のはげ…去勢後の♂猫にありがちなホルモン異常から来るもので、特に気にしなくてもいいのでは。
(いや、みんなけっこう心配しているんですが)

 ヒーター猫改めこだまさん(空蝉さん命名)…食べられるようなら、大丈夫。
(「先生、回復が難しいかもって言ったじゃないですか」「いやだって、本当に口の中がすごかったからねえ」)
 こだまさんは「超低血清蛋白つまり栄養状態が凄く悪い」「歯茎にかろうじて刺さっている7本を抜歯(というか単に取ったというか)」「普通に回復できるか不安」と、かなり悲観的な所見だったのだけど。

 グレ…先週診たときは口内の浮腫がすごかったけど、かなり良くなりましたね。

 などなど。おまけ。唯一問題なくさわれるぴあ(うたた寝していた)の口を開け、「歯がない~」「先生…歯石とってもらったり、通院したとき歯を抜いてもらったことがあったじゃないですか」「今はきれいな歯をしてますねえ」

 新入りのヒゲ氏をひと目見るなり「かわいい!」と先生。

 ひととおりレメディのことなど確認、処方をお願いする。小さなピノ子をエイズ発症で亡くした先生は、エイズキャリア組の様子を見て、レメディのことを話すとき、「ピノ子にもよく効きましたし」「最期まで苦しまずに穏やかだったし」など言った。ピノちゃんはたくさんのことを教えてくれたんだなあ。2歳にもならずに逝ってしまった、小さい、洟垂れのピノちゃん。

 グレの口内炎悪化による不調のおかげ(といってはなんだけど)で、思いがけない効果も得た。
 エイズキャリア組の症状が、グレに処方してもらったレメディを一緒に取るうち、こだまさんとぜんの症状が改善したのだ。
 グレにレメディを経口投与するのは難しい。けれど、それ以外にもレメディを「ふれさせる」やり方はある。スプレーボトルにレメディと水を入れ、霧雨のように空から雨が降ってきたのね~というようにスプレーを上に向かって噴霧(直接、顔に向かっての噴霧はNG)。レメディは粘膜から吸収される。目から、鼻から。被毛についた霧を振り払おうと舐めたらしめたもので、口内(歯茎)から。レメディを含んだ霧雨煙る室内から(オイルヒーターをつけていたので、すぐ湿気は蒸発する)。
 飲み水にも。フードにも。「とりこんでくれ~」と念じながら、繰り返しスプレーする。
 こんなんで効くかなあと、疑い半分だったけれど、5日間で確かに劇的な変化があった。グレは最初、よだれを垂らした汚れた口を思いきりあげ、シャーッガーッと怒っていたけど、だんだん馴れてきたのか、それともそれが「自分に必要なこと」「ラクになる」と悟ってか、最後にはおとなしく受け入れてくれた。
 慢性鼻詰まりのぜんはスプレーするたび逃げ回るが、気づくとトレードマークのズスズス鼻息が消え、鼻汁もなくなっていた。「マジ??」とつい声をあげてしまった。こんなんでいいんだ~。
 理想的なレメディのあげ方というのは確かにある(食前食後20分時間をあけるとか、直接手でふれないようにあげるとか、いろいろ)。けれど、レメディは(あげる)量ではなく、いかに「ふれさせるか」なのだなあと改めて思った次第。
 定期的な通院が無理なら、定期的な往診があるじゃないか~。て、先生には申し訳ないけど。
 今回は、マザーチンクチャーの使い方というか、効果も感じた。けっこうなアルコール度数にもかかわらず、どのコも飲み水に入っていてもまったく気にせず飲んでくれる。

 ヒゲさんにはパニック時のスプレーを。長旅の疲れがとれてきたら、怒りと不安、恐怖がわきあがってきたのだろう。この日、顔の前にごはんを置いたら、いきなり叩かれてしまった。怖かったよね。ごめんね。配慮が足りなかった。いつもの「やさしい人」ではなく、入れかわり立ちかわりの人間に見られたり。この環境の激変には、慣れるには時間が必要なのに。
 二段ケージの上部の段ボールの中にいるので、ごはんは下に置きなおした。シャーシャー口を開けてくれるから、上に噴霧したレメディをうまくとりこんでくれること。少しして、肩の力が抜けて両手を前に突き出す姿になった。単に疲れただけかもしれないけれど、心なしか表情も少しゆるんだ感じ。口は閉じているのに、なぜか右下の牙が見えた。

 朝ごはんはかつおの刺身。細かくたたいて、αリノレン酸たっぷりの紫蘇油(血液さらさら)をまぜて。かつおをたたく横から、ななぼが「食べてやるにゃ!」「よこすのにゃ!」とにゃごにゃご騒ぐので、ななぼを隔離。やはり缶詰と違って、「生命エネルギーがある食べ物」に対する反応は違う。グレ、ぜん、トリノは大喜びで食べたけど、こだまさんとヒゲさんはNG。このふたりはまだまだ警戒心のほうが先に出る。

 ちょうど、ひばりはどうしているだろうかとメールをすると。ガス台にのってフリーズするひばりを抱っこしようとして、引っかかれたという。「でも諦めません」。
 異国の地に来て、不安や挫折もたくさんあっただろうけど、乗り越えて今を生きている人。「無理しないでくださいね」ではなく、「お願いします」と託すのみ。「申し訳ありません」ではなく、「ありがとうございます」。そう自分に言い聞かせる。大丈夫。
 Sさん、私も今日、新入りにたたかれ嫌われてますけど、私も諦めません。大丈夫。

 野生動物ではない猫が、野良として外で生きることの苛酷さ。人間には工夫する術がある。たくさん。

 餌やりは本当に苦しい。自分の住まいではない所へ、雨の日も風の日も雪の日も。気にかかる猫たちへごはんを届けに行く。対人間とのいざこざにも巻き込まれる。いかに他人に迷惑がかからないようにするか。キャットフードにはたちまち、アリが群がる。飲み水に入り込むナメクジ。雑草をかきわけ、毛虫にぎゃっと声をあげ。置き餌しないよう、猫がすぐに食べられるよう。そのうち、無駄に考えることもなくなり、ただ黙々と淡々とその行為を繰り返す。毎日、毎日。けれど、気にかけている猫の姿がひとり消え、またひとり消え。そのことの不安が何よりも大きい。冬。凍てつく雪道を、こちらを追っていつまでも駆けてくる猫がいる。本当に連れて帰ることはできないのか。何度も何度も自問する。

 思いきって連れ帰ることができるのは、「大丈夫」と言ってくれるプチポン友がいるからだ。そうして連れ帰ったコたちは里親募集し、無事に縁組成立した。自分の家のコにした友もいる。私が真剣に餌やりを続けたのは、ぴあだけだ。それもたった1年足らず。いつしか仲間が消え、とうとう最後のひとりになった黒猫ぴあを見て、ぴあもまた消えてしまうかと思うと怖かった。そのぴあは、何度か問い合わせはいただいたものの縁組成立までには結びつかず、保護歴更新中。いいコなのに。それでも、ぴあも外にいるよりは平安だと信じている。

 河原猫のことはずっと気になっていた。もう長いこと、淡々と黙々とケアを続けているひよしまるくんの姿勢には、言葉では言い尽くせない、いろいろな思いが錯綜する。励みになるとか心の支えですとか。そういうものだけではない思いがある。
 なんとか力になりたい。悶々としているだけなのはいやだから。そう言った空蝉さんの言葉にはっとした。距離は問題ではない。難しいけれど、私たちにはおかげさまでありがたいことに、それなりの経験もまあ備わっているほうだ。
 大丈夫。

*****

 光市の事件判決で、記者会見でのこと。「(死刑判決が言い渡されたことで)本村さんは癒されたんでしょうか」と、記者が遺族に質問していた。バカなことを聞くなあと思ったが、本村さんは動ぜず、しばし考え込み、「難しい質問ですね」と答えた。今回の判決は自分にとってもまたとても重いものであること、これからどう生きるか、そして死ぬときにどう思うか。そのときになってみないとわからない。

 「癒されたい」とか「癒しの空間」など、マスメディアは「癒し」という言葉を簡単に使い、軽いものにしてしまったように思う。などと考えるうち、ペットを「癒しの存在」と紹介する文面も多々見受けられることにふと気づく。そうかもしれない。実際そうなのだろう。
 物事の本質をとらえよう伝えようと言葉を用いれば用いるほど、核心から遠ざかるということがあるように。
 好きだからとか癒されるからとか。そういったものとはまた別のところに、猫との関わりがあるように思う。自分の場合。
 あえていうなら「気づき」だろうか。向き合うことで自分が何ものなのか気づかされる。ちっぽけではあるけれど、それだけではない、何かをできる勇気もまた与えられると気づかされる。修行のようなものかもしれないけれど、ただ苦しいだけでは勤まらない。悲しいこともあるけれど、楽しいこと、笑えるようなこと、それらに気づいてまた、自分の心もほんの少し温かくなる。そして、自分はひとりではないということ、生かされているということ、感謝したい存在にいかに支えられているかと気づかされるということ。

 教えられ、気づかされる。実際、猫という小さな存在にどれほどたくさんのことを教わり、気づかされたか。

 大丈夫。

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 21日付でカンパご支援してくださったA.Tさま。もしよろしければ猫さんなどの代理画像をお送りください。アップさせていただきたいと思います。ご厚意、本当にありがとうございます。

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 おまけ。

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桃実(ももみ)です。よろしくにゃ!


 ピノ子ちゃんの四十九日が開けた日、縁あって先生のところにたどり着いた捨て猫。「里親募集しないんですか?」と聞くと、「だめーっ」とソッコウ却下。おもしろい柄の猫になるのか、単なる黒猫になるのか。手まりのようなおもしろい子猫だった。
by amemiyataki | 2008-04-24 01:32 | 日常
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