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再びの、日常

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お客さんはちょっと苦手


 バイトは変わらずあったが、この連休は比較的のんびりできた。

 前半、関東から友人がやってきた。古寺仏閣がマイブームらしい友人を案内しようと、平泉中尊寺を訪問(中学の遠足以来だ)。思いのほか楽しめた。中尊寺が世界文化遺産に登録されるかどうかははなはだ疑問に思ったけれど、岩手の素朴さ、自然の豊かさを素直に驚き、満喫してくれる友人の様子がうれしく、また、自分がこれほど故郷岩手が好きだったのかとあらためて気づかされる。

 桜咲き、山笑う季節。りんごの花が咲き、山々で木々の緑が萌えいずる。冠雪いだく岩手山はいつにもまして大きく見え、空気は心地よいほど澄んでいた。楽しかった。

 まだまだ、見せたい場所が岩手にはたくさんある。季節によって変わる風景も楽しんでほしいなあ。また来てね。
 いやほんと、案内するのが楽しくて仕方なかった。県外のマイフレンズの皆さん、機会があればぜひぜひおでってくなんせ(いらしてください)。ガイドします。

 たきのこともデジイチで撮ってもらった。たきの顔がちょっとつぶれた洋風であることを、再認識(母猫がシャム系長毛)。

*****

 後半。特にこれといった予定はなく、部屋の片づけ。というより、すっかりパフォーマンスが遅くなったパソコンの掃除。2002年に買ったWindows XP。そろそろ寿命なのかなあいやだなあと思っていたのだけれど(その前のWindows95のノートパソコンは5年でダメになった)、「2014年まで、とことん使い切る Windows XPが『速く』『快適』になる本」を新聞広告で見て、そうかまだまだ使えるのかとさっそく購入しクリーニング三昧。そういえば最適化とか不要ソフトの削除とか、パソコン購入時にメモリを最大に積んでもらったのをいいことにまったくなんにもしていなかったと反省。人間もそうだけれど、ドッグイヤーで生きてるパソコンもそろそろシニアの域なわけで、いろいろ疲れも汚れも積もっているよなあと反省。それにしても、時間のかかること。
 まだ本のごく前半部に書いてあることしか実践していないけれど、確かに「軽く」なった。大事に2014年まで使い切りたい。

 そして最近できた友人が、数秘術関係の本を貸してくれた。ありがとうございます。

 それぞれの数字には意味があるということで。
 十代は始まりを象徴する「1」に支配される年頃。
 「2」がおおいに関係する二十代では、他者との付き合い方を学ぶ年代。
 三十代では何かを実行し、創造し、喜びを見つけ出す。
 四十代では人生が深刻に見えてくる。自分の居場所を確保しようとする。「4」という数字は人生の現実的な面を支配し、自分の考えをかたちにし、ものごとを当然のことと思わないよう仕向けていく。
 冒険、変化、独立、探求、実験を支配する「5」の五十代。人生は突如変化し、もっと自由に、あるいはもっと自由を手に入れるための欲求が生まれてくる。
 六十代は家族の役割が変わっていく時期。
 七十代は人生を理解する時期。
 八十代は人格のバランスを保つ時期。
 九十代は天国に旅立つ準備。

 「人生の意味」キャロル・アドリエンヌ著より。

 おたがい、とうに不惑を過ぎた年になって、いろいろとあらためて気づくことがあるよねえと話した。私の場合、若い頃、三十代まではがむしゃらに突っ走ってOKだった。何もいらなかった。自分のがんばりさえあれば。それが少なくとも結果になり、かたちとなって現れた。
 ところが四十を過ぎるとはたと迷い、自分には何があるのだろうと、惑った。生きるヒントというか何がしかのアドバイスが欲しくなった。そこそこ使っているパソコンと同じで、多少のメンテナンスが必要だったり、積もり積もった体重を落とす必要に迫られたり。
 また人生とは良くしたもので、そういう時期におもしろい出会いがあったりする。ホメオパシーしかり、パワーストーンしかり、前世を教えてくれるヒーリングしかり。
 道を見失いかけたころに、ガソリン補給になるような出来事が起きる。そうしたシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)が去年あたりからばりばり訪れる。よっしゃ。
 女はひととおり生きる術を身につけた四十を過ぎてからだよなあとあらためて気づいた、この連休だった。中学のころは四十になる自分というのがまるで想像もつかなかったけれど、今の自分がとても楽しみだ(て、日常の雑事や仕事やそれなりの問題はまあそこそこ抱えてはいるんですけどね)。結局、「道」は中学の頃に夢見たものの延長であることに気づいた。

 シンクロニシティの回数を増やしていくこと。
 
by amemiyataki | 2008-05-07 09:12 | 日常
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