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地域猫のつくり方 など

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わが家のさわれない猫 ちー♀ 5歳



 日曜、偶然にもNHKの「ご近所の底力」を見る。日曜午前の時間帯に番組が移ったのね。
 以前、何度か特集していた、今回も「猫問題」。
 スタジオに猫嫌いの住民(多数)、猫好き(餌やり代表3人)、オブザーバー(司会者、和田アキ子…この人は動物嫌い)が集い、猫嫌いと猫好きとの間でバトルが繰り広げられる。

 こうしたことは感情が先に立ってしまって、聞いているこちらも「こりゃ、まとまらないわ…」と思う。どちらも気持ちが先走ってしまって、平行線。
 そこへ、「地域猫のすすめ~ノラ猫と上手につきあう方法」の著作もあり、地域猫を提案した獣医師で保健所勤務の黒沢さんらが登場し、横浜市西区など地域猫を町ぐるみで取り組んでいるモデルケースも紹介し…。
 話し合いには猫好き、猫嫌いのほかに、「中間派」も巻き込むことで冷静に物事を見極められる、という話になるほど~と思った。そして、いちばんの苦情の原因、猫の糞尿対策では、「猫トイレ」を設置して成功しているとのこと。場所だけなら提供できる、始末は喜んでします(餌やりの人たち)など、自分のできる範囲で解決に向かおう、という流れだった。

 飼っている鳥を野良猫にやられ、何を言っても「イヤだ」「やりたくない」「イヤだ」の一点張りだった猫嫌いのご婦人が、最後には「(こういう解決策があることを)知らなかった」と言い、何もしないのは解決にならないから、と、地域猫への第一歩を踏み出した日の集まりに参加したのはよかったな。


 わが家の庭も猫のトイレと化している部分がある。猫よけのトゲトゲマットも敷いているが、功を奏しているとは言いがたい。
 問題は、近所の飼い猫がうちの庭で用を足しているということ。自宅に猫トイレはないのか。

 ほかの人の話だけれど。「だって家にトイレがあると臭くてイヤじゃない」と言い、放し飼いして、飼い猫の用はよその家の庭でしていることを承知で知らんふりしている人がいる。意外に多い。飼い主のモラルの欠如。自分さえよければ他人の被害はどうだっていい。

 唐猫と珍重され、紐でつながれて飼われていた猫が、生類哀れみの令により爆発的に繁殖してしまったこと。さらに、ペストが流行しそうなとき、明治政府が「一家に一匹」猫を飼うようにと触れ回り、猫が増えたこと。いつの時代も、要は人間の都合がまかり通っていること…。

 猫が悪いのではない。「人に迷惑をかけない」というごく当たり前のルールをおろそかにしてしまう人間が悪いのだ。

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 月曜。バイト先に久しぶりにCさんが来た。いい人なのだけれど、いわゆる昔の飼い方をしている、半端な餌やりでこちらも何度か振り回された。何かあったのかなと思ったら、いちばんかわいがっていた猫がとうとう死んでしまった…と、力なく言った。人間でいえば70を越えていて。口内炎がひどくてダメかもと思っていたけれど。
 Cさんは何度もため息をつきながらしょんぼりとして帰っていった。


 大切に思っていた猫との別れは、いずれ訪れるであろうとわかっていても、実際にそれが訪れたとき、気持ちの行き場を失い、惑う。

 何度も紹介してきて恐縮だけど、あらためて、先生からもらった言葉を記したい。先生はいわば私にとってはメンターなんだなあ。

・プチポン友のサヴァさんの愛猫、みいみちゃんが亡くなったときのこと

死に至る過程というのは 私は誕生に至る過程とまったく同じだと思っています
死とは向こうの世界への誕生である という意味でなんの苦労も苦しみもなく 
あっさりと 静かに死んで行く子もいれば
何時間も何日間も何ヶ月間も まるで産道の中に引っかかった胎児のように苦しみもがき 
その苦しみが尽きたかのようにして ようやく向こうへ旅立つ子もいます

でも どのような形の死であっても ひとつ残らず 
それは向こうの世界への誕生を意味するのであって
生まれる形が 安産であれ難産であれ 
この世への誕生には必ず喜びがあふれるように
どんな形の死であれ ひとつ残らず
実は 祝福されるべきものなのだと 私は思っています 

みいみちゃんは ちょっと難産でした
でも サヴァさんの助産のおかげで ようやく 
今無事に 向こうに生まれ出ることが出来ました
悲しむことは当然ですが 
どうか悔やんだり後悔などなさらないように と お伝えください


・たみおが亡くなったときのこと

病院に連れてこられる子達は皆実は 偶然に来るはずが無く絶対に縁があると思ってます

その子が現世で与えられた課題としての病気に 一緒に取り組んで 難題をこなし一つでも高く成長して 次のステージに行けるように 手を貸してあげることが それこそ私に与えられた課題なんだと思ってます

たみちゃんはその意味で ほんとに一緒に頑張ってくれたし ほんとにいろんな事を 最後の瞬間まで教えてくれました

課題をこなすよう 動物達に手を貸してもらってるのは 実は私の方なんだなということも。

死は通過点であり 彼等の命は続いています 今回ケアを受けたことが 必ずたみちゃんの今後の命の恵みになっているはずです そんな縁をまた今回も繋いで下さって 本当にありがとうございました


・白猫オッドアイのキョンちゃんが亡くなったときのこと
 人馴れいまひとつのキョンちゃんがアクシデントから脱走。40日後に保護したものの3日後、永眠。外での暮らしは想像を越えるほどキョンちゃんには苛酷だった。極度の脱水、貧血状態で急逝。文字どおりとるものもとりあえず駆けつけたのだけれど、保護直後にのませたかった脱水に効くレメディだけが、なぜかケースの中に入っていなかったという皮肉。そして、里親のTさんの哀しみを思うと本当にやりきれなかった。そんなときにもらった言葉。

太陽を力ずくで西から昇らせることは出来ないように
人知の及ばない流れに対し、私がなんとかしていればと、
後悔しすぎるのも天に対して不遜になる場合もありますね。

亡くなった命を悼みつつ自然の流れを後悔せず受け入れる。
そんなバランスを取るのは大変ですが、生きる上で絶対必要であり、
やらなければいけない事です。


 此岸に残る者は彼岸に逝く者に対して、なかなか執着を断ち切れない。それでも、毎日は続いていく。


悲しみが寂しさに変わり、寂しさが懐かしさに変わる
人はそうやって悲しい別れを乗り越えていく
阪神大震災の時に教えられた言葉です。


 関西の方に教えられたこの言葉も、大きな支えになる。
by amemiyataki | 2008-06-03 00:55 | 日常
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