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中秋の名月 前後覚え書き

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小梅♀ 里親募集
前の前のエントリ初登場の子猫と同じとは思えない、表情が優しくなった


 12日(金)大雨 胆石エコー検査のため、母を8時45分までMクリニックへ。その後、のり&モリ通院。だいぶよくなった。
 その後、先生のお母さんが保護したというノラ子猫の撮影。小さい。シャーッとかいってあまりいい写真は撮れなかったが、後で先生が写メで送ってくれた画像はベリィキュート。あんずかなあと言ってたけれど、どうやら名前は小梅ちゃんになったようだ。保護して最初は血尿だったそうだが(腰を強く打ったのか)、いまはびっこをひいている程度でじきによくなるのでは…ということだった。

 先生のお母さんの知り合いが、瀕死の子猫が庭にいるが自分はさわれないのでなんとかしてほしいと、先生のお母さんにSOS。なんとかしろと言われてもねえ…と思いつつ、その切羽詰まった声に押されて高齢者のお母さん、子猫をレスキュー。確かに弱っていて素手で捕まえられたそうだが、しっかりと人差し指をガブリとやられたらしい。
 獣医の娘がいるから。猫をたくさん飼っていて猫には慣れているから。
 と、この手の相談はけっこう多い。先生のお母さんは顔が広いし。しかし、お母さんのところもすでに猫、満杯。先生のところだって限界だ。小梅の発見者にして通報者が言うことには、ほかにきょうだい子猫が1匹。さらに母猫。このまま家に近辺に猫が増えるのは困る、なんとかしてほしい。
 「そう言われてもねえ」「自分たちでなんとかしようとしなければ、ダメですよ」「でも、見てしまった以上はねえ」「でも、お母さんも先生ももう手一杯でしょう」「そうなのよねえ」「捕まえ方を教えて、病院にも自分たちで連れてきてもらって、きちんと不妊手術をしてもらわないと」「でもねえ…」「あの人たちがそこまでするかどうかは…」

 野良は見たくない。自分たちの目の前からいなくなってくれさえすれば。

 そういう人相手はとてもやっかいだ。こちらが何がしかのプロと見込んで相談を持ちかけてくる。そんな「野良猫」プロフェッショナルなどどこにもいないというのに。私たちだって野良は見たくない。けれど、経験豊かだからとか慣れているでしょうからとかすべてを委ねてくるのはたまらない。プロフェッショナルとは「それ」でお金を稼ぐ人のことだ。くるねこ大和風にいうなら、「ぎうぎう」の状態に相談を持ちかけられ、できることなら引き取ってほしい…ということまで望まれては困る。たぶん、ナイチンゲールのような聖女を想像していたのだろうなあと、ある件のことを思い出す。行き場のない猫を友人同士で世話をしていて、どうしたらいいでしょう…という相談メールをもらったことがあった。先方の都合に合わせてこちらの時間をやりくりして会いに行き、事情を聞き、まずは不妊手術をするところから…と病院を紹介し。いかに自分たちが大変な思いをしているか…など聞いているうちに、もともと器が小さい私は、ものすごーく嫌な顔をしていたのだと思う。最後は、先方も相談しなきゃよかった…と言葉がなくなり、最低の別れ方をしてきた。捕獲、病院の搬送…あわよくばすべてこちらに…というのが見え見えだったのだ。個人的環境の事情を言われても私にどうしろというのだ。

 「里親募集して、すぐに見つかるかしら」と、先生のお母さんが心配そうに聞く。以前なら、「大丈夫、子猫は100%もらわれますから」と本気で答えていたけれど。「うーん。ちょっと難しいですよねえ。でも、がんばって見つけましょう」と言うしかなかった。残されたきょうだい猫と母猫。「お母さん、あまり無理しないほうがいいですよ」いくらなんでも、70代のお母さんにすべてを押し付けるのは酷だろう。

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 母は胆石が3つあった。さらに脂肪肝。腎臓にも問題があるらしい。予想外のことに、Mクリニックに迎えにいったとき、母の顔色は冴えなかった。何を聞いても「よぐ聞かねがった」。月末、大腸の検査。検査前に腸を「空」にするための処方食の箱がやけに大きく見えた。

 この日の夜は、前日の不安が嘘のようにブロンテ一家全員集合。こうなるとあっけなく、そっけないものだ。

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 13日(土)。『ダ・ヴィンチ』連載の「テレプシコーラ」立ち読み。「バレエに哲学を初めて持ち込んだ人」として、モーリス・ベジャールが紹介されていた。確かに、有名な「ボレロ」には哲学を感じさせる。難しいことはわからないけれど、観る側にもある程度の知識、受け止める度量を必要とする「何か」を哲学というのではないか。
 「ホメオパシーには哲学がある」と、友人が言っていたのを思い出す。ホメオパシーも、治療を受ける側にある程度の知識を求められるもののような気がする。サプリメントを取り込むのとはまったく違う。理解し、受け入れる度量。「学び」を必要とする。多くの「気づき」を得るために。

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 母が長年、あまりいい感情を抱いていなかった看護師のSさん。そのSさんがすでに十年以上前に亡くなっていたことを、つい最近になって偶然、母は知った。
 父が入院中、あまりいい看護は受けられなかった。その病院はあまりに忙しすぎた。忙しいとは「心を亡くす」という漢字でできている。まさにそのとおりの病院だった。向こうにも言い分はあるだろうけど。
 寒い中、母はSさんの家へホタテのお歳暮を届けにいったり、どうか父をよろしくと何度も頭を下げていた。けれど、効果はなかったように思う。
 父が亡くなって14年。Sさんもほどなく亡くなっていたとは。まだ若かっただろうに。
 かつてSさんが住んでいた家は今はなく、更地になっていた。
 なおもSさんへの不満を言おうとする母に、「やめたほうがいいよ。そういう気持ちをずっとひきずっているから胆石ができちゃうんじゃないの。死んだ人のことを悪く言うのはもうよそうよ。私はもう忘れた」とえらそうなことを言った。故人には黙祷あるのみ。

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 この夜もブロンテ一家、勢ぞろい。

 昼間、ブロンテ親子に出会い、思わず写メを撮る。明るいところで見ると、この1ヵ月ちょっとでずいぶん大きくなったものだと、少し恐ろしくなる。シャーロットも肉がついた。
 太陽の下で見る彼らは……野良猫オーラをまとっているかのように、少々目つきが悪かった。

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 14日(日)。バイト先でとんでもない事態が発生。ありえない出来事に呆然。帰宅が40分ほど遅れる。帰り道、車をとってきてから餌やりなのだが、案の定、待ちきれずにブロンテ一家が足元にからみつく。「ごめん、待ってて、今(ごはんを)持ってくるからね」と言ってみるものの、通じるわけがない。えーっ、ごはんは??とショックを受けるシャーロットたちを後に、急いで駐車場へ行き、車でブロンテ一家が待つ場所へ引き返す。けれど、そこにはもう誰もいなかった…。がっくり。小声で猫ちゃーんと呼び、缶詰を振り、にゃーおんと猫の声で鳴いてみたり。
 あきらめきれずしばらくそうしていたら。ちびヴァンだけが暗闇から走って現れた。それから、エビゾー。

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 15日(月)の夜は全員出席。「たまの伝説」がお気に召さなかったのか、いまひとつの食いつき。グレコがシーバの味にはまっていた。よし。やっぱり缶詰オンリーはきついから、ドライフードも食べてにゃ。

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 映画『おくりびと』の新聞記事を読み、観たいなあと思った。こういう職業の人たちが、病院に出入りできるようになれば。死は忌むべきもの、と考える看護師たちに代わって、「旅立ち」の準備を整えてくれたら。
by amemiyataki | 2008-09-16 01:19 | 日常
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