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寒中に思う

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ひばり♀ 09年5月(推定)で満3歳


 K-mで撮影。おもしろい。ハマる。これは撮影モードをSCN(シーン)→ペットを選択、ISO1800に設定、ついでに連写してみた。夜撮影。内蔵ストロボはポップアップしなかった。意外にうまく撮れたように思う。ひばりちゃんのかわいらしさが表現できているんじゃないかな。

 べったり、ではないけれど、コミュニケーションはとれます。ごはんのとき、みんなから少し離れて待ちます。私の場合、背後でスタンバイ。「ほーら、ひばりちゃんのごはんだよー」と言っておもむろに差し出すと、(中身はおんなじなのに)待ってましたとばかりに食べ始めます。
 抱っこは無理ですが、撫でるのはOK。キジトラ好きの方、いかがでしょう。

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 その後、IEの強制終了はまったくなくなった。嬉しい。さらに言うなら、窓をいくつか開いていて、その一つを閉じようものなら、これまでは即、強制終了になっていた。それが、検索したところ、IE7はもともとWindows Vista用に作られたものだから、どうしてもWindows XPでは不具合が生じるとのこと。措置としてはIE6に戻すか、いっそFire Foxのブラウザを使用するか…などさまざまなアドバイスに行き当たった。
 そのうち、「ツール」→「インターネットオプション」→「詳細設定」→「サードパーティ製のブラウザ拡張を有効にする」の、この「サードパーティ…」のチェックをはずして無効にしてみては…という回答を見つけ、これかも…と実行してみた。で、解消。

 IE7にアップデートしたのがいつだったかは忘れたが、ここ半年近く、あーでもないこーでもないと思いながら、不自由しながら使っていたのが、一気に解消。仮想メモリを増やしてみたりとか、あれこれあれこれ。まだ、何かやりようがあるような気がするが、とりあえずはかなり、サクサクと動くようになってくれた。ありがたいなあ。

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 大寒も過ぎ寒中まっさかり、のはずが、ここにきて温かい雨が降り、雪をきれいに溶かし、3月の陽気となっている。これはこれで、なんだか気味が悪い。やはり今の時期はびりっとしばれなくては。凍てつく大気に冴えざえと輝く星の冬空、というのがいい。

 20日はモリの命日だった。夜、こたつにあたって見るともなしにテレビを見ているとき。こたつ回りにいたたきとちーが、はっと、少し開いたふすまの向こうに広がる廊下の暗闇をしばし見つめた。こんなふうに、ときに猫って生き物は、何もない宙を凝視することがある。こちらには見えない何かが見えているかのように。
 廊下から、モリがにゃぁと鳴きながら部屋に入ってきたのかなあ。そうだといいなあと思いつつ、いやいや、モリちゃん、きみはこっちとあっちを自由に行き来する猫魔にはならずに、まずはゆっくり休養をとって、新しく生まれ変わってね…などと思ったり。やはり、まだ泣ける。

 キョンちゃんを亡くした里親Tさんが、「今、生きている猫たちを大切にかわいがることがキョンちゃんへの供養。ようやくそう思えるようになりました」とメールをくださったことを思い出す。

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 少し前のことだが、朝日新聞でくまとやまねこという絵本を紹介していた。最愛のことりを亡くしてしまったくまは、家の中にひきこもってしまう。けれど、時間が経ち、やがて外に出、やまねこと出会う…。興味をひかれて本屋で立ち読み。いい本だった。絵がすばらしかった(未読だが「よるくま」を描いた人)。買おうかどうか一瞬迷ったが、同じ作者の夏の庭―The friendsを購入した。スティーヴン・キングの「スタンド・バイ・ミー」の和製版…という評があったけど、確かにそうとも言うけれど、それだけではくくれない、いい話だった。読んでよかった。児童文学というジャンルを超えて、しみじみと心に沁み渡ってくる話だった。

 小学6年生の少年3人が、「きっと、今にも死にそうな老人」を見張るところから物語は始まる。「死」への素朴な興味からなのだけれど、彼らの思惑は見事にはずれ、その老人は彼らに見張られることによって、生き生きとしてくる…。
 物語の中で、やがて老人が戦争体験者であることが語られるくだりがあり、胸が詰まる。ちょうど、「本の旅人」に連載中の梯久美子さんの「死者のいる場所」をふと思い出した。三國連太郎、水木しげるら戦争体験者が語る戦争の悲惨さ、むなしさ、やりきれなさ…。

 以下、アマゾンにあった作者のコメントを引用。

この『くまとやまねこ』は、ずいぶん長い時間をかけてできあがった絵本なのですが、できあがった今、時間をかけたかいがあったなあと心から思えるし、この絵本で私が書きたかったことも、やっぱり「時間」なのだな、とあらためて感じています。身近な人が亡くなることも含めて、大事な何かを失うというのは、自分自身の一部が死ぬことと等しい。死んだ自分を抱えている間は、時間が止まってしまったようにも思えるけれど、時間は実はきちんと流れていて、なにもしていないように見える人にも、深い変化をもたらしているのではないでしょうか。この絵本のなかのくまが、悲しみに閉じこもり、でもやがて外に出かけていったように、必ず死んでしまった自分自身の一部も、またよみがえる時がくるんだという、そういう時間というものへの深い信頼と感謝の念が、私にこの小さな物語を書かせてくれたのだと思います。


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 つい最近、偶然にも、中学のときの恩師が数年前に亡くなっていたことを知った。文学のおもしろさに目覚めさせてくれた恩師だった。いつか挨拶に行きたいと思いつつ、特に報告するほどの変化が自分にはなく、行きそびれていた…。
 同じ盛岡の端っこにある中学から、ど真ん中にある中学へ転校し、不安で仕方なかった14歳の当時。勉強することのおもしろさを味わわせてくれた先生。一年に100冊本を読めと言われ、よし、読んでやろうじゃないのと素直に反応し、どうにか読みきったあの頃。


 失うこと、別れを告げること、悲しむこと、悼むこと、そしてそれぞれの時間でゆっくりと再生していくこと…。

 とりとめもなく書き連ねてしまったけれど、すべては自分への覚え書きとして。

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 エビゾーの欠席が今日で6日、続く。去年の8月から餌やりを続けてきて、こんなにブランクがあるのは初めてのことだ。ドットちゃん、ちびヴァン、そしてグレコとひとりまたひとりと姿を消していったのを、おかしいと思ってのことか。

 がらんとした暗闇のなか、ちびヴァンたちがターッと駆けてきたのは…そう昔のことではない。けれど、もうそうした光景は見ることはないのだ。安堵と同時に、妙な郷愁に駆られたりする。おかしなことに。
 おそらく、夜の闇のどこかで、エビゾーはじっとこちらの様子をうかがっているのかもしれない。真の飢餓に駆られたら、きっと姿を現すに違いない。
 
by amemiyataki | 2009-01-23 03:03 | 日常
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