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人生初

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ヴァンサン♂ ちょっと前なら和風「しょうゆ顔」? 今風なら草食系?



 あまりにビックリしたので、これは書いておかないと。
 今日、バイトが終わったとき、総務のマネージャーに呼ばれ、○月○日付でもう来なくていいと言われた(実際にはもっとやんわりとした表現だったけど、要はこういうことだ)。あまりに突然のことで返す言葉もなく、「はい、わかりました」と言うのがやっと。いやー、もう少し何かこう、選択肢を提示されるとか(減給とか)、ワンクッションあるならともかく。あんまりビックリしたので、居合わせた同僚(パート。バイトの私より格は上)と準社員、そしてリーダーに素直に報告。みんな一様にビックリしていた。今年の夏のボーナスは支給されなかったそうで(パートのみなのか全社員なのかは不明。全社員ってことはないだろう)、人員削減、つまりバイトからということで妙に納得もしたのだけれど。明日から来なくていいと言われないだけまだマシだったか(実際は2ヵ月先の話だ)。準社員、リーダーは減らされた人員でどうやりくりするかをすぐさま憂慮。そういえば9月から営業時間が短縮されるって言ってたような…というパートさん。意外に皆さん冷静といえば冷静で。かといって、私だけが知らされていなかったのかというふうでもなく。要は「他人事」ってことかとも思った。

 バイトを始めて5年。とても多くのことを学んだ。私には必要な「場」だったのだと思う。なにより、楽しかった。ここで仕事をするのはそんなにイヤではなかった。サービス業なので接客のことではとてつもなくイヤな思いをずいぶんしたけれど、それも私には必要なことだったと思う。

 つまり、いい加減「日銭稼ぎ」を言い訳にするのはやめて次のステージに行くようにという天の配剤なのだと思う。本来のなすべきことに向き合え。時間はそうないのだ、と。
 胸がおかしくなるんじゃないかというくらいのこの咳は、社会人になって最初の一年間に来した症状とほとんど同じ。なんてことはないと言い聞かせてみたものの、忙しすぎたのだ。パタパタと忙しく動き回るだけで、いったい何を生み出していたというのか。

 最近では駐車場から職場まで歩く30分の時間がもったいなく、しんどく、月極め駐車場のほかにちまちま駐車場を借り、駐車料金もじりじりとすごい金額になっている。余裕もなく、無駄を蓄積している。

 自分の周りを見直すこと。自分を見つめること。いい機会だと、受け入れよう。

 つい先日、ロッカールームで52歳で従業員が亡くなった話がされていた。癌の再発。にもかかわらずギリギリまで働いていたという。厳しい現実。

 いやー。生きていると本当にいろいろ経験する。人生初のクビ勧告。自分から言い出すのと、人から言われるのとでは相当違う。しかし、これはたいしたことではない。うん(といいつつ…これがメインの仕事のことだったら慌てふためき、それどころではないよなあ)。

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 「森のイスキア」にあった言葉「奉仕のない人生に意味はない」。猫保護を「奉仕(ボランティア)」かと問われると、果たして自分はどう答えるだろう。「いやー、好きでしてることですから」と頭をかく? 好きでしてるって…どうなのかな。好き嫌いとは別のところで動いている。やむにやまれず? ただ、7年も続けていると自分の生活のなかでかなりの部分を占める「これ」はとても大切なものだとつくづく思う。大切にしたい。ひとつひとつの「命」とかかわっていることでもあるのだし。

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 解雇ショックを受けた私に比べたら、時の首相の驚きはさぞや…だろうなあと、与謝野・石破両大臣のニュースをテレビで見て麻生さんにちょっぴり同情。このみっともないくらいの大混乱の自民党に比べたら私が受けた勧告なんて…(比べること自体、無理だっつーの)。などと横になりながらつらつら思う。そのうち、三宅一生さんのニューヨークタイムズ紙への寄稿のニュース。おおっと思わず身を乗り出した。
 この世界的デザイナーが広島出身で、母親を被爆後遺症で亡くしているということを初めて知った。少し前のラクイラサミットで、なぜ麻生さんが唯一の被爆国の元首として、オバマ大統領に広島を訪れるよう要請しなかったのか云々が取り沙汰されていたが、三宅さんが大統領にぜひ、この8月6日の広島の式典に出席するよう呼びかけていたことを知り、実現を願った。

 私の父はシベリア抑留者だった。十代で戦争を体験、二十代でシベリア生活。帰国してからは共産主義者のレッテルを貼られ、仕事を得るのにとても苦労し、家庭を持ったのは四十過ぎてから。その父に、戦争のことを聞くと決まって言葉を詰まらせ、語る前に涙を流し。結局、父からは断片的なことしか聞けず、メディアなどからその悲惨さを想像するのみ。最近では梯久美子さんの「死者のいる場所」を連載中に読み、戦争のことは生きている私たちは決して忘れてはいけないと、改めて思った。
 広島には行ったことはないけれど、海軍だった父が言っていた呉市や広島市にはいつか行ってみたいよねと、母と時折確認する。ついでに、母が大阪万博のときに食べた大阪のうどんももう一度食べたいそうだから、「大阪にも行きたいよねえ」「んだー」どうせなら、「讃岐うどんも食べに四国にも行きたいよねえ」「んだんだ」。

 いろいろなことを思い、考える。バイトの拘束時間がなくなったぶん、しなければいけないことはほかにいくらでもある。いいほうに考え、受け止めること。生かされていることに感謝すること。

 
by amemiyataki | 2009-07-16 00:25 | 日常
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