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ゴールデンスランバー

 黄色い自己存在の種の年、共振の月26日、赤い月の地球。

 立春だというのに、今朝の盛岡は今季最低のマイナス11.6度。さすがに寒かった。

 昨日のレディースデーに、映画「ゴールデンスランバー」を見に行った。エンドロールに流れる斉藤和義の「幸福な朝食 退屈な夕食」のとき、不覚にもトリノのことが思い出されて、泣いてしまった。周りに怪しまれる~と思いつつ、慌てて涙を拭う。特に詞が耳に入ってきたわけではなかったのだけれど、なんとなく、何もない日常というのが、実はとっても幸せなのだというふうなメッセージが入ってきたような気がして。


 先週土曜、4ヵ月ぶりに髪を切った。日曜、前から予約していた温泉宿へ宿泊。たぶん暇だろうと、行く前に小説「ゴールデンスランバー」を購入。「獣の奏者」にしようか迷ったけど。伊坂幸太郎作品は初めて(というか、本はあまり読まないほう)。小説がおもしろく、これは映画も観なくてはと思った次第。「おくりびと」以来の映画館だけど。今回で、映画熱が何年ぶりかで再燃。できることなら、毎週映画を観に行きたい。時間はあるのだ。トリノのケアが終わってしまったことだし。


 後悔とか心残りがまったくないわけではないけれど。トリノのことでは、できることは尽くしたほうだと思う。こちらの不手際などなんのその、トリノは本当に我慢強く、最期までこちらに付き合ってくれた。感心するくらいに。
 点滴の針が一度で刺さらなくてやり直ししても。漢方やサプリ、強制給餌にも、よく耐えてくれた。

 私たちの気のすむようにといったら語弊があるかもしれないけれど。トリノは本当にいい猫だった。

 あのまま長らえていても、しんどい体のままでは、トリノ自身も、私たちも行き詰まっていったかもしれない。トリノは実にいいタイミングで、「もう、いいよね?」と言っているかのように旅立った。いたずらにトリノの苦しみを長引かせてしまっただけだったろうか。いやいや、そんなことはないよね…。こちら側に残された者は、例によって答えのない問いをしばらく繰り返すばかりなのだけれど。

 人馴れしないトリノにとって、病気は私たち人間とかかわる、修行だったのかもしれないけれど。

 トリノの魂が平安を得て、穏やかでありますように。


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09年1月22日撮影のトリノ



 どんな状態にあっても、猫の口角って上がっているんだなあと思った。

 髪を切り、映画を観て。こうして日常は過ぎていく。トリノがいなくなってぽっかりと穴が開いたような日常だけど、過ぎていく毎日にあって、まだまだしなければいけないことはあるわけだから。

 車を運転しているときなども、ふと涙があふれることもまだあるけれど。

 トリノ。さようなら。

 「ゴールデンスランバー」、黄金色のまどろみが、トリノを優しく包みこみますように。

*****

 それにしても、いいタイトルだと思った。「ゴールデンスランバー」。劇中歌うのはビートルズではなく斉藤和義というのが、実によく合った。マザーグースの中にもあるという「Golden Slumbers」。

 映画は…本を読んでから観たほうがいいのかなと思った。作中にあるように、事件からの「20年後」のエピソードを盛り込んだほうがすっきりするのではと思いつつ。

 映画については久居さんのブログにもあるので、興味のある方はどうぞ。



 旧暦の正月はもう少し先だけど(2月14日が旧正月)、立春はひとつの区切り。新年が本格的に始動、という印象がある。

 車を買い替えることになった。印鑑登録のはんこを、遅まきながら替えた。

 もうすぐ春。そんな気持ちになれるのが、立春。 
by amemiyataki | 2010-02-04 16:10 | 日常
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