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福島

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駅のホームに咲いていたスズラン



 震災以来、長距離ドライブが増えた。ETC付いてないのに…。それまで高速に乗るなんて2年に1回あるかないかくらいだったのに。

 本当に、生きていると何がどう起きるのかわからない。この不思議。

 いや。もしかしてどこかですべてが決まっているのかもしれない。でも、そんなことは知らなくていい。

 
 縁あって複数の里親さんと出会うまで、福島は新幹線で通り過ぎるくらいだったのに。

 今の季節、福島の自然は見てるこちらの胸がぎゅっと鷲づかみされるほど、生命力にあふれ、緑が青空に向かって勢いを増していた。

 どんな命も生きていること。この大地に根ざし、呼吸していること。それを謳歌していること。

 当たり前のことが当たり前ではなくなっている現実に身を置いていることが、何か他人事のように感じてしまう。震災以来。

 これは本当のことなのだろうか。

 福島のとある駅に降り、目的地までケータイナビを案内にゆっくりと歩いた。すると、町役場の広報が、本日の放射線量は…とアナウンスする。繰り返し。なんて不思議な。時おりすれ違う人の誰もマスクをしておらず、
エーグルのゴムブーツにマスクしている自分がなんだか申し訳ない気がした。

 お昼時、陽射しは高く空はどこまでも青く、町はどこか眠たげだ。のどかな風景。きっと都会の子が夏休みにおばあちゃんのいる田舎に行く。そんな「田舎」の風景だろう。自然と人の営みがうまく溶け合い、ゆったりとした風景。

 これは本当のことなのだ。

*****

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福島出身の猫を預かる。「おおちゃん(仮名)」



 仕事をしていたときの忙しさとは違う忙しさに、呆然としている。

 あまり考えない。何か「流れ」があるのだとしたら、流れに任せてみるのもいいだろう。けれど、自分をしっかりと持って。
 自分がボロボロだったりふらふらしながら関わったとしたら、それはよけいなおせっかいで迷惑なだけだと、先生に言われた。確かに。

 明日は5時発。母が夜更けだというのに、お弁当を作ってくれている…。ありがたい。そしてたきは、左腕にどっかり。

 ある日突然、日常が非日常になってしまうこと。喪ってしまうこと。絶望すること。

 いろんなことを考える。
by amemiyataki | 2011-05-26 23:18 | 日常

Memento mori (メメント・モリ…死を忘れない)

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小岩井農場(5月8日撮影)



 この前ドライブをしたのはいつだったか。と思うほど「非日常」が続いている毎日。
 日曜に行った雫石は、福島を思わせるのどかさと自然の美しさが、やけに悲しく映った。

 ある日突然、日常を喪ってしまうことの苦痛と悲しみ。

 最近は、取り残された動物たちのことでざわざわと落ち着かない。胸をわしづかみされたかのような…。

 ともすれば傾きがちになりそうな自分に、バランスを取り戻さなくてはと、とりあえず履歴書を書き、提出してみた。そして今日は映画「英国王のスピーチ」を観た。王妃役の女優は…「眺めのいい部屋」の少女だと気づき、あの映画を観たときと今の自分とずいぶん遠いところへ来てしまったなあとぼんやり思う。「ブラック・スワン」とどちらにしようか一瞬迷ったのだけど。今の自分的には「英国王…」のほうかなあと。

 頭の隅に気にかかることがあり、心の底から楽しむことはできなかったけれど。イギリス映画はやはり好きだ。俳優陣の顔立ちというかいでたちが醸し出す雰囲気と画面のほの暗さがいい。

*****

 朝日新聞に「カラマーゾフの兄弟」のことが書かれていた。
 卒論でこの作品を取り上げたのだけど、何をどう書いたかはまるで覚えておらず。ただ、十代の頃、この作品を読み終わった夜、「そうか! わかった!」と、人生のすべてがわかったような気になってなるほどそうかと、うなりながら部屋の中を歩き回ったことは覚えている。何がどうわかったのかは忘れてしまったけれど。
 あんなふうに、熱にうなされるように本を読むことはこの先あるのか。


生きているということは、死に近づくということにほかならない。
いかに生きるかとはすなわち、いかに死ぬかということ。
死を忘れるな。そして、善く生きろ。
著者のメッセージだ。


 当時は確かに、無神論者のイワンではなく、信仰心あついアリョーシャのほうに気持ちが向いた。

 今は? 

 どう死ぬかを思い、毎日を生きる人は少ないのではないか。「人生は素晴らしい」とぼんやりとは思うものの、突然、生を終えざるをえなかった人たちのこと、人間を信じて待ちながらも息絶えた動物たちのことを思うと、たまらない。
by amemiyataki | 2011-05-11 23:51 | 日常

やがて震災から2ヵ月…

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庭に咲いたチューリップ



 震災から、時間の流れ方が以前とはすっかり変わってしまった。

 多賀城市の叔母は無事で、いまだ避難所暮らし。叔父の手術は3月末に行い、今も入院中。手術前に叔母の無事がわかり、本当によかった。生きているのがわかったのは、震災から4日後のこと。それを聞き、いてもたってもいられなくなった叔父は、会社の車を借り、盛岡から多賀城市へ向かった。家は半壊。

 その日、プールで泳いでいたという叔母は地震後、帰宅。ミニチュアダックスのマイローを連れ出したところに津波が間近に。近所の人たち7人で駆け出し、たまたま玄関が開いていた家に入り、二階に駆け上がり、からくも難を逃れた。自衛隊が救出に来たのは翌日だったか翌々日のことだったか。替えの下着もなく、濡れた体のまま避難所にいる叔母のために、叔父は下着や衣服、食糧を車に積んで行った。向こうについてからしばらくしてもらった電話で、よその車が4台家に突っ込んでいる、半端じゃない…という叔父の声は涙でかすれていた。

*****

 あれほど忙しい忙しいと書いていた仕事を、4月1日、突然失った。震災のあおりで。フリーランスなので当然失業保険はなく。備えが万全かというとまったくそうではなく。自分の今の状況には、正直笑ってしまう。まったくの無職状態が1ヵ月以上続いている。

*****

 4月5日、ぜんちゃん永眠。保護猫でエイズキャリアの猫で、トリノ、グレさんの次に亡くなってしまった。全員が2006年保護の猫たち。ぜんちゃんは2004年か05年にTNRした猫だったが、ごはんをもらいに来る猫たちのうち最後まで通ってくれ、引っ越しに伴い保護したこだ。思えば、ずっと鼻炎の症状がありTNRのときもリンパが腫れてるといわれたっけ。
 寒がりで、鼻をずすずすさせていて。けれど機嫌は良く、甘えたで。ごんごん頭を押し付けてきて鼻汁が飛び散って。

 大好きだったぜんちゃん。1年前に亡くなったグレさんと同じ日に生を終えた。

 震災で、プチポンを支援してくださっていた陸前高田市の方が亡くなった。同じ町で、高校と大学の同級生も亡くなった。岩手県内陸部にある盛岡は停電くらいが不自由だったけれど、誰かしら会うと(私の印象では)3人に1人くらいは沿岸に知人や親族がいて、大変な話を耳にした。

 2万人を超える人が一度に命を落とすなんてことが起きるなんて。

 3月11日のその時は、仕事をしていた。7階の職場は経験したことがないほど揺れ、停電になった。大丈夫と思ったものの揺れは長く激しく、一瞬、ニュージーランド地震のことが思い出され、まずいかも…と思った。外に出ると信号は消え、大きな余震が何度もあった。目の前の小さなビルがぐらんぐらん横に大きく揺れていた。そのままいても仕方がないので帰宅。近くのスーパーは早くも閉店になっていて、普段は行かない小売店は停電でレジが使えないのにすべてのバーコードを手書きで控え、連絡先を聞かれ、代金は後でいいからと売ってくれた。ここで買ったカイロに助けられた。

 家の玄関を開けたとたん、酢飯のにおいがした。母がいなり寿司を作っていた。さすが戦争を体験した人は違うねえとちゃかしながら、その夜はローソクの明かりの下、いなり寿司を食べた。

 ラジオをつけっぱなしでその夜は眠り。といっても細切れな睡眠で。いつ頃だったか、仙台市若林区の海岸で遺体が200人以上…のニュースに「ええっ!」と声をあげ、起き上がった。友人が住む区だ(無事を知らせるメールが届いていたのだけれど、ケータイは電池切れで確認したのは翌日だった)。

 ありえないことが次々と起きていた。

 原発事故では、福島の里親さんが大変な思いをしていた。

 自分のことに気をとられて、そういえば東松島の里親さんは…はたと気づいたのは震災から1ヵ月が経っていた。固定電話しかないと思っていたのが、あらためて里親希望のフォームを見直したら…ケータイ番号がちゃんと書いてあった。どうしてこのときまでまったく気づかなかったのか。

 自分が逃げるのが精いっぱい。避難所に指定された小学校には入れず、とにかく遠くに逃げたいと誘導する人に言い、示された方向に車を走らせ文字どおり九死に一生を得た里親さん。入れなかった小学校の体育館にも津波は襲い、そこで亡くなった人も多数。
 先住猫くんとプチポンからもらっていただいた2匹は半壊した家から外に出てしまい、先住猫は捕まえることができたものの、2匹はつかまらず。電話をしたとき、里親さんはなんとか2匹をつかまえたいと避難先からフードと水を届けに通っているというときだった。

 空蝉さんや7くん、仙台の友人の協力により3回通って無事に保護することができたのは本当に幸運だった。その際、飼い主不明の猫も2匹保護した。

 沿岸被災地を初めて見たのは、東松島だった。壊滅というのはこのことかと、言葉がなかった。里親さんの家には、倒れた電柱をまたいで行かなくてはならず。06年秋にお届けに行ったときは風光明媚な松林が続くすてきなところだったのに…。

 そして、今週は福島に行き、猫1匹を連れ帰った。

 ようやく今、こうしてブログを更新する気になった。


 残りの人生、これからどうやって生きていこうか。プチポンの活動を続けていくためにも、震災後の支援をささやかながらもしていきたいと思うからには、やはり働かなくてはいけないわけで。

 途方もない無力感に襲われる。と書いても、そう落ち込んでもいられないわけで。ともするとバイトを2つくらい見つけてまた忙しくして…という考えにはまりそうなのだけど。

 たぶん、そういうことをしていく道と、そうではない道と。今はその分岐点にいるのかもしれない。

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ぜんちゃん



 できれば、何か少しでも社会に役立つことをしていきたい。
by amemiyataki | 2011-05-08 00:15 | 日常